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人の言葉をトレースする人

今年はなんだか「言葉」について考えさせられる年です。

え〜っと私の星回りはなんだったかな?
私は今年兌宮(だきゅう)に座しています。
そういえば、兌宮は口や言葉の象意(しょうい)があったのを忘れていました。
ついでに言うと、人の出入りの宮。喜びの宮。ただし、底の浅い喜び。言葉のトラブル。
う〜んすべて当たっている。もう今年も終盤。気づくのが遅かった。T_T

と話しが逸れましたが、今日は言葉について。

会話の中で意識して、自分の言葉として使っている人は少ないと、昨日買った本(体の声を聞きなさい)に書いてありました。

自分できちんと意識して話している言葉は2割。後の8割は人の受け売りや、自動運転的に前から用意されていた言葉をただ状況に応じて使い分けている程度だそうです。

数字の真偽はともかく、私はこの無意識に発している言葉の弊害について考えたり、逆に意識して発している言葉の威力を考えていました。
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| 心に思う事 | 22:47 | comments(0) | - |

本当のお天気男とは

私の周りに二人の男性がおります。
と言っても三角関係ではないです。(笑)
一人は時々出てくる私の主治医。
もう一人はこれまた時々でてくる、呼吸法の友人。
ず〜っと前から、この二人はどこか似ていると感じていました。

職業も体型も性格も全然違うけれど、どこか似ている。

先日、なんと主治医とその仲間達と一泊の小旅行に出かけました。
台風まじか、札幌は曇り空、行き先の東川町もついたときは曇り空でした。
ど〜んよりとしていました。
其処へ主治医が登場、夜ご飯をご一緒し、二次会の部屋の窓から
空を見上げると、満天の☆が耀いています。
「私がきた以上、必ず晴れるよ」
自信たっぷりにそう言いました。

どっかで聞いたせりふやないけ?

呼吸法の彼もお天気男。それも筋金入りです。
台風に向かって突入しても、彼の頭の上は必ず晴れる。

天上の雲が割れる。
私が歌に詠んだくらい。晴れます。
会社では、旱魃も彼の責任になるくらい。の晴れ男。

東川は、旭岳の野草観察に出かた一向。
私は主治医の後ろ姿を追いかける。
山を一通りあがるには灼熱地獄。主治医が下ったあと、もくもくと黒い雲
が山を覆う。主治医のそばに居る私はとうとう灼熱地獄からは抜け出ることが
出来なかったです。

そうそうもう一人、私の師匠もはれ男。
師匠が部屋に戻ると、雨が降り、外に出ると雨があがる。
風も一緒にふいたり、やんだり。
雨も、風も、太陽も、自由自在。
 
彼らは何か目に見えない共通点があるのです。

人間の振りしてるけど、人間ではないな と最近思うようになりました。

| 心に思う事 | 23:18 | comments(0) | - |

ファッションであってはいけない言葉(癒し、スピリチュアル)

今から10年も前に龍村監督のガイアシンフォニーという自主映画界のボランティアに夢中になったことがあった。
映画は4本立てのオムニバス形式で、全く縁もゆかりが無いものであるはずのものがある視点から眺めた時、何か共通のテーマに沿って動かされている、ダイナミズムのようなものを多くの人が感じてとって、見えない世界への羨望と興味を持つという現象が起こった。
ニューエイジャーという言葉や、スピリチュアルと言う言葉が、このあたりから爆発的に世間に知らされることとなる。

ニューエイジャーとは、丁度1960年代にアメリカを中心に流行した、ヒッピー文化から始まっている言葉のようだ、基盤になっているものは、チベットのかの有名な死者の書であるが、何処をどう間違ったか、マリファナやフリーセックスなど、おおよそチベット密教とは性質を逸する若者文化となってしまった。
キリスト文明は、物質を支配するピッセス(うお座)の影響を受けており、ローマ法王の
冠には、魚のモチーフが施されている。
ところが、今はこの正座の影響下から脱出し、アクエリアス(水瓶座)の影響化となった
水瓶座は物質と対極にある、精神や波動をそして、何より破壊と創造を象徴すると言われている。
最早、物質文明の限界を感じるなかで、キリストの教義そのものが色を失い、ダビンチコードのような、キリスト教自体の根幹を揺るがす史実が世に現れることも必然と言える出来事かもしれない。

占星術は侮れない。

このアクエリアスの星の下に生まれた子供達をアクエリアスエイジと呼び、ニューエイジ
と呼ぶのである。

ガイアシンフォニーのボランティア達は、一つのグループを形成し各地で小さなコミニュティーをつくりだした。
私もはじめ参加しようと思ったが、ある日もの凄い違和感を感じて、止めにした。

彼らの特徴は、癒しや、スピリチュアルと言う言葉を連発し、つながっている(シンクロニシティ)と言うことをキイワードとし、つながりが起きないひとと起きる人を区別し、
つながっている人を特別視し、自らをニューエイジャーと呼んだ。
全てが全てではないが、そういう傾向を持っていた。
そして何より気に成ったことは、現実的ではないということ、この一言につきた。

先日、お会いした坂内慶子先生も全く同じことを言われていらした。
「10年前スピリチュアルな世界と称して集まっている団体は殆どが閉じた空間であり、社会生活に根ざしたものではない」と。

私は我が意を得たりの心境だった。

数ヶ月前、主治医の診察室には、先生のコラムが記載された医学同人誌のコピーが貼られてあった。

最後の文面には、「決して乱暴ではない言葉であるが、癒しと言う言葉が嫌いである」と書かれていた。
そして、そんな言葉に翻弄されず「誰かを癒して上げなさい」。と結んであった。

そして、私の死をも預けた師も「癒しと言う言葉が嫌いだ」とはっきりおっしゃられていた事を思いだした。

「私達は癒しなんてものを求めてはいけない、もっと図太くどんな苦難に出会っても、腹をすえて立ち向かっていく気力と体力を作ることが必須である」と。
癒しなんて生易しいもので、激烈を極める人間世界でなにかを成し遂げることは出来ない」と。

先生達のおしゃられている言葉はみな痛烈であるが、浮ついた状態で、これ等の言葉を連発している人たちへ、お灸をすえたかったのだろう。

医療の世界や、宗教の世界で粛々と行を行っている者たちはきっとにがにがしく思っているに違いないと思うのである。

最近では、スピリチュアルと言う言葉がテレビにまで出始めた。
結構人気のある番組もあるようで、周りの友人達も視聴者になっている。
○○さんはこう言っていた類の話をされる。私は時々興味本位で見て見たりすることもあるが、最近は飽きが出てきてしまった。
なぜか?やはり作られたものであろうと思うのだ。
ゲストの反応がほとんど同じでること。
所詮テレビは台本がある。

書店には、もっと古くから人間について深く洞察された良書が並んでいる。
できればそう言ったアプローチから、精神について考えてみたいものだ。

漢方医学を学んでみて最近特にそんな思いが強くなった。

注:ガイアシンフォニーは非常にすばらしい映画であると、今も思っています。ガイアシンフォニーや特定の団体を批判する目的でこの文章を書いてはいません。

| 心に思う事 | 10:21 | comments(0) | trackbacks(0) |

ごみ袋の中身は空気

最近私がいらいらすることの一つが、過剰な包装です。
特にプラスチックやビニールの包装は、ゴミ袋の中で幅を利かせて、押し込んでも、押し込んでも、弾性で跳ね返ってきてしまい、わさわさとゴミ袋の中を占領します。
家には、大きな分別のゴミ箱がふたっつあって、中仕切りをするとそれぞれ分別できる仕組みになっているのですが、中仕切りをすると直ぐにごみが一杯になってしまい、やむなく缶やペットボトルは、袋をそのまま奥の納戸に素のままで置いてあります。
その占める面積は狭い日本の住宅事情ではかなり大きなものです。
いつも週末はごみとの戦い。いい加減うんざりしてきます。

お惣菜などが入っている、透明な簡易プラスチックは最悪です。
肌触りは悪いし、ちょっと力を入れるとぱちぱちがさがさと不愉快な音を立てます。
そしてつっこんでも突っ込んでもゴミ袋から跳ね返って出てきてしまいます。

お肉や魚を梱包しているトレーも大嫌い、サランラップで捲かれていますが、扱いが結構大変です。簡単にはがれてくれずにいらいらします。
水につけるとぐにゃぐにゃするし、どうしてこう化学製品といくものは、使用感が悪いのか?

これだけ、地球温暖化問題や、ごみ問題が大きくなってきているのに、企業はまだ対策に踏み出していません。

洋服屋さんの包装も嫌いです。
ものすごい過剰包装です。
最近はコストが安いのか、ビニールの袋が主流のようです。
まだ少し前はちょっとデザインに凝った紙袋が主流でした。
あれは結構使い道があったのですが、ビニール袋は本当に使い道がなく、いつも廃棄処分しています。またゴミ袋を占領するのです。
置いておくと、埃をよび集めて触るのもいやな感じになります。

これからは札幌もごみの回収も有料になる話が出ています。
有料にすれば、当然違法廃棄も多発しそうで、果たしていいのか悪いのか、、?
有料にしなければならないほどゴミを出しているのは、企業の責任が大きいのです。
もう少し包装について真剣に考えて欲しいものです。

イオンがレジ袋の有料化を施行したと言う記事を読みました。
あくまで消費者へのお金の徴収です。
一つの対策ではあるかもしれませんが、レジ袋はそれほど邪魔なものではありません。
生ゴミを入れたり、旅先でも色々重宝します。
問題は、レジ袋ではない!
生鮮食品を入れている、パックやトレー、それに化粧品やら、歯ブラシやら、の梱包。
こういうところにメスを入れずに、なんでレジ袋なのでしょう。
先日古いPCのモニターを、廃品回収者に依頼すると4000円の請求がありました。
高いのか安いのかよく分かりませんが、お金で解決する問題なのかな?と思いました。
ちゃんとリサイクルしてくれるのかな?
社会基盤や企業モラルが確立していないうちに、お金で解決しようと思っても、また新たなひずみが生まれそうです。

| 心に思う事 | 21:31 | comments(0) | trackbacks(0) |

健康番組→医者番組

ちょっと前まで健康番組が多かったですね。
○○は××に効く!

なになには健康に良いとTVで放映されると翌日から、在庫切れやら値上がりやら・・一時のブームで本当に必要としている人の手に入らないこともある。

大体万人に効く薬は無いし、漢方や食養を勉強しているとこんなばかげた話は無いのにとしらける事のほうが多いです。
体質や食歴や遺伝を無視した状態で、あるものに執着して連続大量摂取すると健康を害する事も多いからです。
友人は私が漢方を勉強している事を知っていて、何度も万人には効かないのだから余り躍らされないよう何度も話しているのに、だってTVで言っていたのよ。
が口をついてでてきあきます。これには閉口してしまいます。

それにしても最近多くなった医者をコメンテーターにした番組。
本当の名医なら、レギュラーで番組に出ている暇など無いはずだなあ
と思うのは私だけでしょうか?
この健康に関する番組が視聴率を上げる事は、20年もまえに想像でき無かったですね?
医療費の高騰や、病気を生み出す現代のシステムがこういう番組の視聴率を支えているのでしょうね。
当然高齢化も迫ってきていることをこの切り口から見て取れます。
なんだかんだ言いながら私も結構健康番組は見てしまいます。ともない、病気が国力を失う事も簡単に想像する事しています。
漢方を勉強していると分る事ですが、これから先は東洋医学が本当に必要だなあと思います。
東洋医学は未病に対応しています。
つまり未だ病まざるを治すわけですから、医療費が少なくてすみます。
そう簡単なものでは無いのですが、東洋医学は一に養生ニに養生ですから、この日々の心構えを生活に浸透させれば、きっと未病を治すところまで持っていけるようにい思います。
でもなんで、医者番組や、健康番組にあまり漢方や鍼灸が取り上げられないんでしょうね。私がTV局のプロデューサーなら、漢方医のドキュメント番組をやりますけれどもね。何ででしょう。
あと10年もすればきっとそういう番組が多くなると今から予言をしておきます。
まだある意味西洋医学の限界の臨界点まで来ていないのでしょう。きっと・・・



| 心に思う事 | 01:04 | comments(0) | trackbacks(0) |

そこに居る人がそこに居てくれること

今日漢方の主治医の先生が職場復活されてはじめての診察日でした。
首の筋違えで、鍼灸の先生に駆オケツ剤を飲むように言われ、在庫の処方から
弓気調血飲を飲んでいましたが、いまいちだったので、主治医の診察を楽しみに
病院に向かいました。
なんと、待合室は人でごった換えし、立ち見(?)もありで、スリッパは品切れの混み具合。覚悟はしたていましたが・・・
2階に薬剤師の先生が居るので、油を1時間ほど売ってこれたので少しは気がまぎれましたが、その後1時間程待ってやっと先生のお顔を拝見と思ったら、先生はどこかへ消えてしまいました。
いつのもことなんですが、私の番になると先生はいつもいっっぷくへ向かうようです。
偶然かそれとも私なら待たせても文句言わないの知っているからか?分りませんが、それでやっと先生の診察です。
やっぱり先生はいい。何か全然ほかの先生とは違う。オーラがあるのかなあ
あの混み具合なのにものともせず、丁寧な診察、腹診では本当に丁寧に見てくださった。やはり感激です。
触り方が優しい。いやな気というものが無いのですね。
鍼灸のM先生もそうだけれど、触られるだけで気持ちががいいのです。
やっぱりオーラってあると思うのです。

家に帰り以前の病院の診察案内を見ると、先生の名前は全部の週にありました。
それが、水曜日から名前が外れ、今度は院長先生のところが別の名前に変わり
月・火・水にも先生の名前がなくなりました。

何かあったらいつも先生に診て貰えたのに、これからはそうは行かないのです。
風邪を引いて入院したあの日、熱で吐き気でいっぱいいっぱいの私を力強く受け入れて入院させてくれた先生を思い出します。

鍼灸のM治療院の先生も水曜日の午後は治療から身を引くそうです。
いつもそこに居てくださった方が、突然居なくなる。
その日が来るまでその日が来るとは思わなかったのに、人は年をとるのです。
どんなに優秀な頭脳でも、どんなに優秀な腕でもいつか人はそこから居なくなってしまう。寂しくも悲しい事だけど、だからこそ今そこに居る人を大切に出来たらと思います。
本当は何も出来ない自分だけど、何か人の役にたつことが出来る人間に成りたいと、今日は本気でそう思いました。

| 心に思う事 | 22:40 | comments(0) | trackbacks(0) |

ちょと怖い話し

いつものように、会社帰りにM治療院で鍼の治療を受けながら、先生と世間話をしていました。三木谷社長とホリエモンのことです。先生の「三木谷社長は苦労人だよと」言う話に対しレスをつけるように私はホリエモンの話をしました。
「ホリエモンは初年運だから、いつまでも続かないですよ」といいました。
先生は「初年運ってなあに」と聞かれたので、「初年運とは若いうちに運気が発動してしまい、大した苦労も無く大金や地位を得るのだけれど、苦労していないので、経験が無く結局失敗して最後はさびしい人生を送る事です」
とお話しいました。
そのような会話をしてから一ヶ月もたたないうちに今回のような結末になったことは、自分としてもいささか驚きでした。
若い人は革命を好みますから、ホリエモン人気はあったと思いますが、私は最初から危うさを感じていました。まず、目がいやでした。夢を語っている割に目が全然澄んでいない。夢を語る時普通は少年のように輝くのに・・・
それと、ブレーンが若い人しか居なかった。まるでオームみたいだと密かに思いました。広報部長が女性で、いつもTVにタレント気取りで出てくるのも変な違和感がありました。その広報部長が、健康番組で身体の調子が悪くても無理をしてでも仕事をしたいと話していました。事実沢山の不定愁訴を訴えていました。
(不定愁訴を自慢しているように見えました)自分の身体をきちんと管理しようとしない馬鹿さが目に付きました。”何かにおどろされ、何かに取り付かれている”そういう風に見えました。
結局お金に取り付かれてたんですね。怖い話です。
「今は六本木ヒルズの凄い部屋に住んでいるけれども、大金を持っている人って、一夜にして全てを失う事が多いです」とも話しておりました。先生もそういうもんだよね。今の人はお金でしかコミニュケーションの取り方を知らないから、可愛そうだと言っておられました。先生は色々な方の人生を見ているとつくづく最後は人はお金に依るのではなく、もっと別な付加価値に依ると言っておられました。お金を使わなくてもコミニュケーションがきちんと取れる人が最後は生き残るとおっしゃりました。
私は凄く的を得た言葉だなと思いました。目に見えなくても、この世には価値のあるものが沢山あります。目を凝らし、耳を澄ましてそういうものを捕らえていきたいなあと思いました。
個人的には六本木ヒルズは草も生えなければ、樹も育たない不毛のそんなところ10億のお金があっても私は住みたいと思いません。

| 心に思う事 | 19:04 | comments(0) | trackbacks(0) |

REUNION 2

輪廻転生はあるのだろうか。
若い頃から、東洋思想を読んでいると、そんなテーマによくぶち当たる事があります。
私個人としては、あると考えた方が物事のつじつまがあうなあと言う見解を持っています。でも、たとえ輪廻転生があったとしても、前の世の事なんかは全く記憶に無いしつまらないなあと思えるのです。前の世の記憶が少しでもあれば輪廻転生もリアルなものになるでしょうにね。その程度の感覚です。
仏教界のある著名な方が、「輪廻転生は間違いなくありますよ。酒をしこたま飲んで酔っ払い、何とか家に着いたけど、酔った勢いであちこちぶつけた。朝起きて何で家で寝ているか解らない、身体はと言うとアザだらけ、なんでアザがあるのかも解らない。後で友人が酷く酒によって、自分が家まで連れ帰ったこと、ふらふらしていてあちこちぶっつけた。と教えれくれた。自分の記憶には無いけれど、確かにそこに存在し、事実が行われている。輪廻転生とはそんなものです。」と書いていたのを読んだことがありました。
なるほどなあ、酒を飲んだ行いが仏教的に言うと業という事になるわけかと単純にそう思いました。


とあるBBSで知り合った友人は呼吸法の達人です。彼とは昨年2回ほど逢う機会がありました。初対面の男女が、夜のススキのカラオケボックスでクラシックを歌う。と言う
相当怪しい密会が1回目。
2回目の時、相当ビールを飲まれたので1回目の会話なんて何にも覚えていません。
「そんな事も話してのですか?」
「全部忘れちゃったのですか、結構深い話をしたのに・・」
不服そうな私に彼は
「大丈夫ですよ。貴女のお顔を拝見していると思い出しますから」ですって。
彼は持病がおありで、もともと薬局で※中医の処方を受けられていたのですが1回目の時東京の漢方専門医をご紹介させて頂きました。2回目にお会いした時すっかり症状がとれてしまい、漢方の虜になっていました。(かくして彼も薬草好き人間となりました)それと偶然ですが、彼も以前ブログ上で紹介した新谷弘美先生の胃腸は語るを読んでいたとの事です。
お互いなんの打ち合わせもなしに、歌う準備をしていたのが面白かったです。大人になると悲しいかな、色々世間体を考えて自分の行動に規制をつけてしまうものです。私は結構型破りな方で、普通に行動していますが、例えばこんなシーンでも相手が悪いと、「まさか楽譜を持ってくるなんて思わなかったですよ〜。何せ初対面ですからねえ」と言われ、私は一人孤独を味わう訳です。
彼は違っていました。事前に※ハイパージョイサウンドのカラオケ店は何処にあるか調べてありました。
彼とは本当はどこかもっと別なところで既にあっていた間かも知れないです。

                        つづくかも知れない。
※中医 中国で発達した漢方医学 特徴は臨床優先ではなく、陰陽弁証論の理論が優先で、生薬の量も日本の量に比べのもにならないくらい多い。
私の主治医は日本で発達した和漢医師です。身土不二の考えで言うと日本人に和漢の方が良いように思いますが、そんな事よりもっと大切なのは、医師の腕と素質ではないか?と思います。
※ハイパージョイサウンド クラシックの選曲が出来るカラオケシステム

| 心に思う事 | 13:51 | comments(0) | trackbacks(0) |

REUNION 1

東洋医学書棚私の高校時代の体育の先生であるO先生とは、あるボランティアの会場で20年ぶりに再会をしました。その後教師と生徒としてではなく、人生の先輩として、時には友人としての交友が始まりました。
先生は現在も現役の教師をされていますが、アロマテラピーなども勉強し、色々生徒のために頑張っておられます。私が尊敬する人の一人でもあります。
先生とは年に2度ほどお会いする位なのですが、時々共時性を感じる事が起こります。
話すと長くなるので、やめておきますが兎にシンクロニシティがよく起こるのです。
先生の親友のご主人が漢方医をされていて、私も何度か処方を受けた事がありました。
かかりつけの鍼灸の治療院の先生がこの漢方医とお知り合いでした。
「○○先生となら、ジンギスカン食べに行ったわよ〜」と軽〜くおしゃりましたが、私はやっぱりなあと密かに思いました。そういうこともあり得ると思っていたからです。
 
どういうわけか私の家には洋の東西を問わず薬草の本が勝手に集まってきます。
アロマ関連の本や、北海道の薬草図鑑。原色日本薬用植物図鑑、メッセゲ氏の薬草療法と言う本もあります。これらは私が自ら求めたものではないのですが、勝手に本棚に増えて行くのです。
茶花植物図鑑と言うのもあります。茶花の中には結構薬草が多いのです。

そして笑えるのが、私の部屋には箒が2本あって、漢方薬の他にも、各種ハーブティーに加えウコギ茶やら、どくだみ茶。
きざみの漢方を煎じている所に兄が甥を伴い遊びに来た事がありました。
ハーブティーで接待する私に兄が
「おまえのところには変なものばかりあるなあ」
「おい見てみろ」
と言った視線の先には、箒がぶら下がっています。
それを言われるまで気が付きませんでした。
“魔女みたいだ”私(内心思う)
「魔女みたいだね」甥
「魔女だ」兄
何のために箒が2本もあるのか解りませんが、私は箒のフォルムが結構好きです。

昨日O先生からメールを頂きました。
人は自分自身が感じる本物に出合ったと思われる時、
自らの使命や思いを、思い出すのだと思います。
と書かれてありました。
鋭い言葉であります。
そして先日は鍼のM先生がやはり「自分を磨くためには優秀な方の中に身を置くのが一番」とおっしゃられました。
丁度前のブログの内容と被っていたので、ちょとびっくりしました。
O先生の言葉を借りれば、優秀な方の中に身をおきながら、自分の心を打つ出来事があると“自己の中に眠っていた良い潜在性が目覚める”とこういう風に訳す事が出来のです。
私の尊敬する方がたはみんなどういうわけか薬草好きです。
M先生の治療院は目一杯もぐさの香りに包まれています。
過去世に魔女だった自分を思い出してしまったようです(笑)                 結構好きなテーマなので、続き書くつもりです、と言うわけでつづく

| 心に思う事 | 23:55 | comments(2) | trackbacks(0) |

今年の抱負今だ決まらず。

時々私は自分の人生の中でつぼに入ったな、と思うような出会いがある時があります。
最初からそれはそこにちゃんと用意された形で存在していて、待っていてくれたような感覚を覚えるような出会い。その人に合った事で次の良い出会いが訪れ、人生に彩りを添えてくれるような出会いです。丁度鍼を打つと、患部とはかけ離れた所のツボでもそこに鍼を打つことで、経絡をとおして、次のツボ次のツボとつながりを持ち最後は患部にまでエネルギーが行き届くように、良い出会いが次々とエネルギーを持ち込んで最後に人生全体を曼荼羅のように紡ぐルートが出来るのではと思うのです。その反面、悪いルートにはまると悪い人脈で人生を形づくってしまう。そんな事を考えます。悪いルートもそこに存在しぽっかりと口を開けて待っているかも知れません。見抜ける感性が欲しいものです。それには日々の自分の行いの積み重ねが物を言うかなと思う新年の心情です。

| 心に思う事 | 01:14 | comments(0) | trackbacks(0) |

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