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肝臓病4

ある日兄が「チーズや牛乳はお前の病気には良くない」と言い出しました。
現代栄養学しか学んでこなかった私にとっては暴言としか思えませんでしたが
幸いにも本を読むことを好む私は兄が買ってきた“奇跡の玄米食”を読む機会を得ました。なるほど〜と思わされる事が沢山書かれてありました。
まったく物を見る観点が違うのです。新しい価値観で物を見た時今まで感じることが無かった幸福感すら同時に感じていました。
そしてこの本が後に私の人生の基盤となる東洋医学的哲学への窓口なったわけです。
本の内容にある程度納得した私は、直ぐに乳製品や肉食を止めました。
と同時に義姉が作ってくれる玄米食に切り替えて1ヶ月も過ぎた頃体調の良さに気づき始めました。
便秘は自然のお通じに変わり、頭痛はきれいに消えうせ、何より倦怠感が無くなり食欲も増してきました。いつもぐったりとソファーにもたれ掛かっていた
姿はもう無く、いくら歩いても平気な体にまでなりました。

はっきりと言います。その後一度として肝臓の数値が上がったことはありません。あれほど苦しめた私の病状はわずかに一ヶ月の期間で完治してしまいました。
医師の言う所の肝臓の数値が下がったと言うことでは無く(数値が下がっていても体調の不良は入院前より悪化した点が多かったです。)肝臓病に付随していた機能的、気質的不調がすべて無くなったのです。私は本当に炊き上がった玄米のご飯に密かに合掌したものした。     肝臓病につては、これでおしまい。

| 闘病 | 18:45 | comments(0) | trackbacks(0) |

肝臓病3

私の部屋は3人部屋で、一人は高利貸しの太った中年の女性で、債務者と思われる男性がフルーツの篭を下げて良くお見舞いに来ていました。指にはエメラルドの大きな指輪をしていました。なんだかすごく場違いな感じがしたのと、
こういう物を身につけている事と幸せとは反比例しているのでは?と感じました。
もう一人は30代くらいの女性でもう黄疸がひどく、腹水がたまって直る見込みが無いと話されていました。エホバの証人の信者さんで、今でもエホバの信者さんを見るとついその人の事を思い出してしまいます。あの後如何されたかなあと・・
父と母がそんな状態でしたから身内で見舞いに来るのは兄と婚約者だけでした。
母からはダンボール箱に衣類などを詰めて送ってきました。
とうとう一度も母は見舞いに来ませんでした。
そうして、薬漬けの毎日を過ごしていましたが丁度私は成人を迎える時期だったのですが、TVで成人式の様子を見ていると、旧友達が写っていてそれも大変印象に残っています。

何とか数値が下がり約1ヶ月半の入院を終え退院の日を迎えました。
医師からは、「この病気は絶対に治らないから必ず一年に一度は肝機能検査を受けるように、低脂肪・高蛋白食品を多くとるように、特にチーズ・牛乳が良いでしょう」
私はこの言葉をただ信じひたすら言いつけを守ることにしました。つづく

| 闘病 | 23:52 | comments(0) | trackbacks(0) |

肝臓病2

入院先では絶対安静を申し渡され。お風呂も読書も禁止されました。そのくせ入院時の精密検査だけはしっかりやらなければ成らず、バリウム検査はかなりハードで具合が悪くないました。吐き気がしているのに、バリウムを飲切るのは拷問のようでした。それ以来長年に渡り私はバリウム検査が大嫌いに成りました。どんな治療を受けたかと言うと、抗生物質と何かわからないけれども点滴が1ヶ月間毎日打たれさらに経口の抗生物質が日に3回処方されました。
ひたすらガンマGTPの数値が下がるのを待つわけですが
約2ヶ月間かかりました。
抗生物質の経口投与は自はなるべく飲まずにこっそり捨てていました。
つづく

| 闘病 | 20:16 | comments(0) | trackbacks(0) |

肝臓病1

肝臓病になったのは私が19歳のときでした。風邪のように微熱が出て、ずーっと続くんです。右下のわき腹に鈍痛があり、変だなあと思い病院に行きました。風邪ですね。肋間神経痛です。当時の医者達はこんな診断でした。いつまでも続く微熱と倦怠感で風邪では無いと思い始めていました。当時もちろんインターネットなど無く、医学書を購入すると言う知恵もお金も無く、、
お正月に入りそんな体で実家に帰りました。もう立っているのもやっとだったのに、ぐったりしていると、「人前で疲れた姿を見せるものじゃあありません。何ですか風邪くらいで」と母に叱られ、解熱剤を渡されお正月の台所仕事を手伝いました。ここにいるともっと辛いと思い次の日早々に帰りの列車に乗りました。ところが家に着くともう本当に起きる事さえ出来ず、緊急で近くの大きな病院にふらふらになって出かけました。風邪じゃないね。肋間神経痛?誰がそんな事を言ったの?血液検査の結果が異常な数値ですよ。すぐにレントゲンを取りましょうと言って造影剤を注射されました。それがなかなか上手く入らず血管がパンパンに腫れてすごく不安だし泣き出しそうだったのを覚えています。結果は急性の肝炎でした。明日すぐに病院に入院してください。絶対安静が必要です。と告げられました。両親は別居状態でした。父に相談すると父の友人の肝臓病の専門病院に入院しました。              つづく

| 闘病 | 23:06 | comments(0) | trackbacks(0) |

手術から1年

7月7日が執刀日でした。
切った夜は七転八倒の痛さでしたが、次の日からはけろっとするものですね。
病院食は最高に贅沢で美味しかったです。引き続き入院した内科はまずくは無いけど差が出たました。
私は漢方信望者なので、婦人科にも漢方のいい先生がいらっしゃる病院を選びました。残念ながら執刀医は現代医学しか学んでいませんでしたが、腕は良かったのでOKでした。七転八倒の時は漢方医が腹帯を締めろ、腸が動いているから痛いんだ!の一言で、ピンと来たのが令桂述甘湯。先生に処方をお願いすると隣の病院の院外薬局まで行って買ってきた下さいました。
これが効いたのです。すぐに痛みは消えました。
巡回の医師が物珍しく思い「やっぱり日ごろ飲んでいる薬はあうんだなあ」と違う観点の話をしていましたが、私の長年の闘病からくる直感で漢方を選んだ事は誰も知らない。。
でも東○会病院は本当に良い病院でした。辛い手術も終わった後は楽しい入院生活でした。

| 闘病 | 07:50 | comments(1) | trackbacks(0) |

長い闘病生活もおしまい!!

入院してました。
病名はヘルニアと子宮筋腫と子宮内膜症。
長かった闘病生活にとうとう嫌気が差し手術に踏み切りました。
というより、筋腫があまりに大きくなりすぎて、その重みでヘルニアになり歩けなくなったからです。
腰の痛みがまさかヘルニアだったとは思いもしませんでしたから。手術を前にしての念のための検査で回された整形外科でヘルニアと診断がつきました。
間抜けにも程があった私です。
人間の思いこみとは恐ろしいものです。普通ヘルニアを疑うべきものを、筋腫が腰痛を引き起こしているとばかり思っていました。
退院してなお痛みが治まらなかった時期、ヘルニアのBBSを見てみると、絶望的になっているヘルニア患者がいかに多いか思い知らされました。
私は、腰痛は筋腫に由来していると思っていたので、切れば腰痛もすぐに治る位に思ってましたから、腰痛についてはその激痛の割には深刻に考えずに済みました。結局筋腫を切ってもな痛みは治まらなかったですが、知識のある内科医とその薬局の薬剤師さんの紹介で行くことが出来た鍼灸院で割と回復する事が出来ましたとさ。

| 闘病 | 18:09 | comments(0) | trackbacks(0) |

子宮内膜症

子宮内膜症と言われたのが15年も前だったかな・・
その時子宮後屈とも言われ、名前から受ける印象が軽い感じ
しかなかったので、ほったらかしにしていた。
ある次期から極度の貧血と視界狭窄に襲われて、それでも貧血と
しらづに日々の生活を続けていたらとうとう、物忘れ、虚脱感で
にっちもさっちも行かなくなり、原因がはるか昔に医師より告げ
られた子宮内膜症だと解った。
そう言えば、月経時の経血の量が人よりはるかに多かった。
祖母に育てられた私は、”月経は病気で無いんだから”・・・・
この言葉をずーっと信じていた。刷り込みとは恐ろしい。
この言葉に縛られ、長いこと病気をほったらかしにしていた。
私は立派な病気だった。子宮を全摘出しなければ成らないほどの・・・・

| 闘病 | 21:18 | comments(0) | trackbacks(0) |

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